自分の思想というか哲学というか,考えの根底みたいなことについて整理してみました。
興味対象の変遷
子供の頃はサッカー少年でありゲーム少年でもありました。
小中では気づいたら歴史や考古学についてドキドキワクワクしていました。
それから徐々に興味が数学へと移り,高校生の私は大学の理学部を志すようになります。
その後浪人時代に物理学へと興味が移りました。
理学部物理学科へ進学し,今では素粒子理論の大学院生として物理学を主戦場にしています。
いわゆる理系人かという疑問
素粒子理論の大学院生として研究をしていて,パソコンやプログラミングにも興味が強い私は理系の人間だと扱われます。
基本的にそうであろうと思っていました。
それでもどこかで,「子供の頃にこういう自然現象に惹かれて理系を志しました!」みたいな人たちとは何かが違うなというのを感じることがあります。
そんなときに思うことが,そういえば英語の構造についても結構な興味が向くなと。
私が敬愛するのは駿台予備学校英語科の大島保彦師(駿台予備学校の慣習にならって師です)です。
山本義隆師や森下寛之師とも出会えたことで表立っての主戦場に物理学が選ばれただけで,越境する智への視点は多分大島師の影響が大きいように思います。
もちろん両氏とも同様に間違いなくそういう人たちではありますが。
原点の確認
今でもふとした時にこの本を何度も読み返しています。
東大入試問題からこういうことが考えられるよねーとかこういう家庭だったら強いよねーというような内容です。
子供が大人になるとき
ここまでの説明では「お受験のマニュアル本」としか思われないかもしれません。
大学院に進学して研究をしているのに,今なお過去の大学入試なんかに囚われているのかと叱られてしまうかもしれません。
しかしながら,私はそういう視点ではこの本を読んでいません。
今でも読み返すのは,親子喧嘩についてのところです。
- 親の背中を見て育ち,
- 人生の帰路では親と対面して議論し,
- いずれ親と並んで歩んでいく
ことの大切さを説いています。
受験,就職,結婚,病気の時にはしっかり親と自分自身と向き合っていければなと思っています(結構のらりくらりと避けがちですが...)。
親のペットではなく,大人としてひとり立ちできるように今でも読み返しています。